「なぜ勉強をするのか?」子どもからの率直な問いにどう答える?
「なぜ勉強をするのか?」へのありそうな答え
みなさんは、子どもに「なぜ勉強をしなければならないの?」と聞かれたときにどのようにこたえるでしょうか?ありえそうな答えとしては以下のようなものがあります。
「将来のため」
「今のうちに勉強しておかないと後で苦労するから」
「なりたい職業につくため」
「良い成績をとるため」
「試験に合格するため」
「知名度の高い大学へ行くため」
「裕福な生活をするため」
しかし、このようなことを言われても、たいていの子どもは納得しないでしょう。なぜなら、子どもにとって「何十年も先の自分がどうなっているか」ということは想像ができにくいからです。
Educationの語源
educationの語源は、ラテン語のeducereとeducareというふたつの動詞をあてはめることができます。
educere、educare 共に、"to bring up, rear, train, "という「引き出す」「連れ出す」「導き出す」「訓練する」というような意味があります。
イヴァン・イリイチによると、これは「教育学上の言い伝え」に過ぎなく、誤りで、正しくは子孫の教育とは、「食物を与え育てるという母親の仕事を意味する」としています。
日本人は“Education”と「教育」が同義語であると考えていますよね。それが誤解であることは、英英辞典をみると、よくわかります。ご紹介しましょう。
英英辞典による“Education”の意
1. to develop the faculties and powers of (a person) by teaching, instruction, or schooling.
教授・指導・スクーリングによって(人の)力と能力を開発すること。
2.to qualify by instruction or training for a particular calling, practice, etc.; train: to educate someone for law.
訓練によって特定の職業(天職)仕事などの資格を得ること。
3.to provide education for; send to school.
educationを提供すること,学校へ行かすこと。
4.to develop or train (the ear, taste, etc.):to educate one's palate to appreciate fine food.
(音感,味覚などを)開発/訓練すること。良い食物を味わうために、味の識別力をeducateすること」
出典:ランダムハウス英語辞典
以上から解かるように、“Education”の辞書的な意味は、「能力を開発すること」になっています。
ここで、大変興味深い大久保利通と福澤諭吉と森有禮の論争をご紹介しましょう。educationという英語の翻訳語を巡って、大久保は「教化」が望ましいと主張し、福澤は「発育」が適訳であるといい、森有禮はその間をとって「教育」としたと言います。
読者の皆さんは、誰を支持する考えでしょうか?筆者は福沢諭吉の「発育」という翻訳にストンを胸に落ちるものを感じます。
イリイチが主張した「educationとは食物を与え育てること」に通じるものがありますね。体にとっての食べ物は食物であり、頭にとっての食べ物は知識や経験であると思います。
他にも能力を表す英語があるので、使い分けをみてみましょう。
能力を表す他の言葉
abilityは「能力」を意味する最も一般的な名詞ですが、努力して身につけた能力にも、生まれつきの能力にも使うことができます。
capabilityはabilityと同じ意味ですが、abilityよりも硬く、企業の「生産能力」といった意味でビジネスの場面でよく使われます。
talentとgiftは、どちらも生まれつきの「才能」を意味し、芸術やスポーツについて使うことが多いです。
facultyはtalentやgiftのように芸術やスポーツの才能を意味するのではなく、学習力や理解力のような「能力」を意味する硬い表現で、視覚や心身の「機能」という意味でも使います。
skillは、訓練や経験、練習などによって身につけた「技量」を意味します。
capacityは、将来発揮される可能性がある「潜在能力」という意味です。
competenceは、特別に優れてはいなくても、ある仕事などを問題なくこなすために必要なレベルの「能力」を表します。
参考:https://www.eigo-love.jp/ability-capability-talent-gift/
心理学では1950年代から論じられた「Competence」をもとに、日本語で「操作的(動機)知能」と訳され、見かけではない個の真の能力、知力を操作して、何らかの成果を生み出す力を意味するとしています。
この「コンピテンシー」理論を1973年にハーバード大学のマクレランド教授が、人材開発や目標管理に応用できるという論文を発表しました。それ以後、「コンピテンシー」という言葉が、学問の場からビジネス界の人事マネジメントでも多用されるようになりました。
日本ではコンピテンシーを「行動」特性だととらえる傾向が強いようですが、本来のコンピテンシーとは表面に出にくい「動機(Motive)」特性を意味します。動機に関しても、別記事で詳しくご紹介しましょう。
今一度、「なぜ勉強するの?」
最後に、筆者が考える勉強する意味をお伝えしましょう。それは、「体も心も元気に育って、幸せに暮らすため」です。
勉強してたくさんの知識を身に着けることだけが、勉強ではなく、遊びの中やスポーツの中で、目に見えない力を蓄え、体力もしっかりつけて欲しいと願います。それが、今現在も、将来も幸せになることだからです。
こう考えると、勉強はとても楽しいことです。これからは「教えられたことをどのくらい覚えているか」ということを学力の目安とするよりは、「与えられたテーマをどう解決していくか」という思考力や、「考えたことをどう伝えるか」というコミュニケーション力や表現力が真の学力になってきます。
言い換えると、テストで良い点数をとるために勉強が必要なのではなく、もっと広い視野で物事を考え、自分の言葉で表現する手段として勉強することが大切なのです。
大切なのは「ごまかさないこと」
子どもにハッとさせられるような質問をされた時、大事なのは「ごまかさないこと」です。
知らないことを知るって楽しいことなんだ、と子どもが感じられるようなサポートを親は子どもにしてあげたいものです。
「こうでなければいけない」と教えられたら、人間は弱くなります。学校をはじめほとんどの教育の内実は「こうでなければいけない」と刷り込んでいきます。
個人の良さを失わずに、教育を受けることが大変重要になってきます。もともとの才能を潰さずに教育するのは本当に難しいと思います。「刷り込み」に関しては、別記事に譲ることにしましょう。
もし、皆さんの説明に、子どもさんが納得いかなかった時は、親子で話し合ってみましょう。正解を見つけるよりも、真摯に向かい合うその時間がとても大切です。