現代でも参考になる「江戸時代の子育て」
江戸時代の子育て観
江戸時代には病気などで大人にまで成長できる子どもが少なかったこともあり、「7歳までは神のうち」と言われ、子どもが大切に育てられていました。
幼児教育の三悪
そして、幼児教育では「表裏」「臆病」「傲慢」が三悪とされていました。どういうことなのか、一つずつ見てみましょう。
・表裏
子どもに親が言うことを聞かせようと、物を与えてその場限りの対策をすると、子どもは裏表のある子どもになってしまう、すなわち、子どもに嘘をつかない、つかせないことを重要視しました。
・臆病
「OOしないと、お化けが出るよ、、、」などと脅すと、子どもは臆病になってしまうというものです。
・傲慢
親が道理をまげて、子どもの言いなりになったり、知らん顔をすると、態度がでかい子どもになってしまいます。
以上のような考え方の根幹には、子どもは元来素直なもので、いかに生まれながらの気性を損なわずに子育てをするかが親の役目とされました。
子育ては「樹を植え、育てる」がごとし。
元来、小児は善悪共伝染り(うつり)易く、育て方に因(よ)って如何様にも相成るべし。
先ず四、五歳から添木を致すが如く、浸(みだ)りに繁らさず、勝手自由成る悪しき枝葉の蔓延(はびこ)らざる様、不行跡・我が儘を致させず、『それは然う(そう)せざる物、是は斯う(こう)致すべき事』と一々申し聞かすべし。
体罰はだめ!子どもの逃げ道になった「あやまり役」と真の反省
江戸後期に書かれた『勧農教訓録』には、仮にも人を殴ったり叩いたりなど、人の道に外れた悪行は少しも許してはならない、万事、悪い行いをしたときには厳しく戒め、二度と同じことをさせてはならないと説きます。
しかし、「骨が固まらないうちに、決して子どもを打擲してはならない。それは親みずからが子どもの持病の種を与えるようなものであるから、必ず慎まなくてはならない」と体罰を戒めています。
仮初めにも人を打ち擲く(たたく)などの類、
横着・不道(無道)の悪作は聊(いささ)かも之を許すべからず。何事に因らず悪しき行迹(ふるまい)有る節は、急度(きっと)、之を戒め、重ねて至させ間敷き(まじき)者なり。
父親に対しての教育
1786年に書かれた『父兄論』には、「胎教の道を女子に教えるのは父兄の役目である」と述べられていて、まさに、出産前から父親としての心構えを説き、イクメンの心として確立されていました。胎教は母親任せではなかったのです。
重要視されていた就学前教育
江戸時代には知育よりも礼法教育に重点が置かれていたことも事実のようです。
2歳から挨拶教育を、また2~3歳の頃は特に周りの大人が言葉つかいに気をつけること、右手を使うこと、4~5歳からはいろはや百人一首を学習せよ、そして良い人に近づけよとと説く教育論の書物も多く出版されています。
貝原益軒は女子には算数は不要とされた当時の風潮に反し、以下のように述べています。
読み書きや算数を知ることは、特に貴賤・四民共に習わせよ。女子も物を正しく書き、算数を習うがよい。読み書きや算数を知らないと、家内のことを記したり、家計を上手に治めることが出来ない。
江戸時代の子どもの遊び
遊びについても、子どもの遊戯だからと言って良し悪しを吟味しないのは、子どもを教育する道ではないとされました。
江戸時代の子ども達はどんな遊びをしていたのでしょうか。
- 正月や節句の玩具:羽子板、手鞠、紙鳶(凧)、破魔弓、双六、かるた、など
- 季節の玩具:風車、花火、切組灯籠、万度、など
- 音の出る玩具:がらがら、豆太鼓、盆太鼓、獅子笛、鴬笛、雲雀笛など
- 人形類:はだか人形、芥子人形、金平人形、土人形、姉さま、など
- 運動的な玩具:鳩車、竹馬など
- 勝負や遊戯の玩具:おはじき、お手玉、独楽、お面、木刀、弓矢、豆鉄砲、紙鉄砲など
- 仕掛け人形:起き上がり小法師、弥次郎兵衛、相撲人形、手車(ヨーヨー)など
年齢別にみると、男児は5、6歳のころに殿事、馬事、竹馬などをし、女児は2、3歳頃からままごとや人形遊びといったごっこ遊びや、まりつきや羽根つきをしていたようです。
貝原益軒の「和俗童子訓」にも以下のような記述があります。
小児の時、紙鳶をあげ、破魔弓を射、狛をまわし、毬打の玉をうち、てまりをつき、端午に旗人形を立つる、女児の羽子をつき、あまがつ(人形)をいただき、雛をもてあそぶの類は、ただ幼き時、好めるはかなき戯れにて、年ようやく長じて後は、必ずすたるものなれば、心術において害なし。おおよう、その好みまかすべし。小児の遊びを好むは、つねの情なり。道に害なきわざなれば、あながちに圧えかがめて、その気を屈せしむべからず。
さいごに
以上、江戸時代の子育てについて概観しました。江戸時代には乳幼児期に死亡することも多く、7歳まではまだ神のもとにある存在として子どもを認識する見方が一般的だったため、乳幼児をのびのびと自由に育てる風潮があったようです。
江戸時代には子育てについて父親の責任が重いことや、体罰が否定されていたことなど、また、就学前教育の重要性を訴えた点など、現代にも通じる子育て観であったことに驚きました。
1829年に書かれた『自修編』には、幼児のときは人の言葉を聞いて決して忘れないものだから、どんなにささいなことでも子どもに嘘をついてはならない、また子どもの周りの人間関係では、子どもの教育には「良い人を近づける」ことを説いています。
今の時代、子育てに自信がなかったり悩んだりする親が増えていますが、私たち日本人は子どもをどのように育ててきたのか、どのような知識と経験が重要であったのか、またそうした知識や経験が時代や世代を越えてどのように伝えられてきたのかを知ることは、意義あることだと思います。
さいごに、今一度、子育て中のママやパパにエールを送る言葉で締めくくりましょう。
「子育ては試行錯誤の連続であるから、誠の心で向き合え、そうすれば目的にピタリと合致しないまでも、大きな見当違いにはならない。子を養うことを学んでから結婚する女性はいないが、親子の心というものは自然と通い合うものだ。」
参考
柴崎 正行「江戸時代における子どもの発達観と育児方法について」 東京家政大学博物館紀要