【どんな子どもでしたか?】保育園隣接型オフィスを運営する小村社長にインタビュー!
小村社長が運営するオフィスに在籍しているのは、9割が子育てママなんだそう!
また、保育園と幼稚園の活動の土台に取り入れているのは、発達心理学や気質心理学、行動科学に基づくキッズコーチング。子どもの気質に合わせ、遊びから学べる場所を提供することで、わが子を預けるママへの安心も提供しているそうです。
それではインタビューを始めます!
小村社長の家族構成は?
両親と姉兄弟の4人兄弟の3番目でした。3番目までは2歳違いずつで、弟は4歳下です。
子どもの頃どんな子でしたか?
子どもの頃は、うちの中で遊んだ記憶がないくらい、外で遊んでいることがほとんどでした。
石の裏にいるダンゴムシを集めたり、カマキリの卵から幼虫が出てくるところを楽しんだりと、外の環境すべてが遊びの対象。
お兄ちゃんやお姉ちゃんと竹やぶに行くこともありましたが、基本的には自然の中での1人遊びが好きな子どもでした。
家の近くに住まれているおじいちゃんおばあちゃんの家に勝手に遊びに行って、母に怒られたことも。
おもちゃで遊んだ記憶もなく、覚えているのはオカリナを持っていたことくらいです。(笑)
子どもの頃の夢は何でしたか?
子どもの頃の夢は、宇宙飛行士でした。虫歯があるとなれないと分かり、早々に挫折したのですが…。
子ども心に「地球を外から見てみたい!」と思ったのが、なりたかった理由です。
それ以降はバスケ一筋だったため、思い描く夢などはなかったのですが、バスケを引退してからはアルバイトをして自分で働いて稼げることが嬉しく、とにかく働きたい!と思っていました。
子どもの頃思い出に残っていることはどんなことですか?
幼稚園から帰ると、よく母が手作りケーキを用意してくれていたのは鮮明に覚えています。
毎日丁寧に料理を作ってくれていた母をずっと見てきて、こんなお母さんになりたいと思っていました。
仕事人間だった父も、忙しい合間を縫って、スキーやプールなどに連れて行ってくれました。
旅行をすることも多く、小さい頃から色々な場所に連れて行ってもらっていたと思います。
子どもの頃を振り返ってみて、ご両親はどんな教育方針で子育てをされていたと思いますか?
幼少期、習い事を3つ掛け持ちし、小学校受験もしていため、母はどちらかというとしっかり教育しようとしてくれていたのだと思います。
ただ、幼児期に受験勉強など特別なことをした記憶はなく、勉強しなさいと言われることもありませんでした。
宿題等で困った記憶もないので、自分できちんと取り組めていたのだと思います。
子どもの頃はどれくらい勉強していましたか?
幼稚園の頃は公文をしていたくらいで、特に勉強していた記憶はありません。
小学校の頃も、宿題や公文以外に特別勉強してはいませんでした。好きだった授業は、歴史や国語です。
今もそうなのですが、答えがひとつのものはあまり好きではなかったのだと思います。
子どもの頃の習い事(幼稚園~小学校にかけて)は何かしていましたか?
幼稚園の頃にしていた習い事は、公文とバレエ、ピアノでした。小学校に入るときにバレエとピアノは辞め、公文はそのまま継続。
小学校2年生から学校のクラブであるミニバスケットボールをはじめました。
女の子でも入れることで選んだのですが、始めてみるとバスケにハマり、月水金の放課後は練習、土日は練習試合と、バスケットボール中心の生活になりました。
子どもが4人もいるのも関わらず、土日の朝早い試合も母が引率してくれたことを覚えています。今考えると本当に大変だったと思います。
私が子どもの頃にしてもらったように、わが子の習い事は基本的に本人主体です。
少しは頑張れるように働きかけますが、無理に続けることはしません。
家での勉強等も特に強制することはなく、本人がやりたいと言うことを手助けするようにしています。
今5歳の息子が定期的に通っているのは、森のようちえんと英語教室。
都会っ子のはずが生き物大好きなので、自然の中で思い切り遊べる森のようちえんはとにかく楽しいと、毎回目が輝いています。
子どもの頃の経験が今の自分につながっていると思いますか?
今に繋がっていると感じるのは、バスケで培った経験が大半を占めています。
小学校2年生から高校2年生までずっと取り組んでいたバスケ。キャプテンも任され、県選抜で全国大会に行くなど、何を置いてもバスケットボール一色の生活でした。
チームの長として、思春期の女の子同士をまとめるのは大変でしたが、ここで組織をまとめる素地やコミュニケーション能力が養われたと思います。
昨今、幼児教育業界では“非認知能力”を幼少期に養うことが重要だと言われています。
バスケットボールはまさにその“非認知能力”が養えるスポーツ。
たまたま選んだスポーツでしたが、バスケに打ち込んだ10年間が人生における財産となったと感じています。
ご両親はどんな存在ですか?
両親は無償の愛を与えてくれる存在です。
怒られた経験よりも「誰よりも頑張っているよ」「本当にかわいい」「特別な子だよ」といった言葉しかもらったことがないくらい、愛されていることを全身で感じさせてくれました。
私のやりたいことに口を出すことはなく、意見を尊重してずっとサポートしてくれており、それは今も変わっていません。
「たとえ世界中の人が敵に回っても、父と母だけは絶対味方でいてくれる」そう思える両親に育ててもらえたことは、自分の人生の中で大きな財産です。
私の子育てにおいても、子どもたちが日々愛されていると感じられるような態度や言葉かけを意識しており、ささいなことでも関心を持ち、認めるようにしています。
また、子どもだからという考えで接するのではなく、人と比べるような発言もしないのも、両親から受け継いだところなのかもしれません。
また、母はずっと専業主婦として子どもを支えてくれていましたが、50代で仕事を始め、資格を取得し起業。その行動力は、子ども目線を抜きにしてもすごい!と思います。
近くで母を見ていたことが、年齢は関係なく努力している人はたくさんいることを実感するきっかけとなり、頑張る原動力にもなっています。
3人のママとして子育てしている中で、大切にしていることはありますか?
子どもたちには、生きていくうえでのマナーをきちんと身に付けて、人の気持ちを考えられる大人になっていって欲しいと思っています。
周囲への思いやりの心が本当に育つのは5歳以降なので、言ってすぐに身に付くものではありませんが、それまでの発達段階でも折に触れてしっかりと伝えていくようにしています。
6歳までの子どもを育てているパパ・ママへのメッセージを!
<幼児教育で大切だと思うこと>
私が幼児教育において大切だと感じたのは、視野を広げることと子どもの個性を信じてあげることです。
第一子を生んで初めての子育ては、どうしても自分の体験が軸になります。
しかし、時代は変わっており、自分の幼少期が今とそぐわない場面も多々あるでしょう。
また、幼少期は周りとの発達の差を比べて悩みやすいタイミング。
しかし、子どもにはそれぞれ気質があり、遅かれ早かれ順を追って発達しています。
悩むよりもまず気質などについての知識を学び、親が視野を広げることで、子育てを楽にすることにもつながるはずです。
子どもはそれぞれみんな特別で、異なる個性や才能を持っています。
子どもの可能性を誰よりもまず親が信じ、それを伸ばすため、努力の仕方や謙虚さ、壁にぶつかったときの乗り越え方を身に付けるサポートをしてあげてください。
<幼児期の子どもにさせておくべきこと>
子どもの頃にさせておくべきことは、豊かな自然の中での外遊びだと思っています。
幼少期は、遊び=学び。自然に触れ合いながら、想像力を働かせて遊びを展開させていく中で、子どもは自ら成長していきます。
親の務めは、遊びから発生した子どもの疑問や欲求を深める支援をすること。そうすることで、遊びから得た経験が、今後の学びにつながっていくでしょう。
また、子どもが集中して楽しく遊べる場面を見極めることも大切。
没頭するまでやりこめるような、興味のあることを見付けてあげてください。
幼少期の自分の体験を子どもにもさせたいと思い、週末は自宅から1時間半の自然の中にたたずむ1軒家で過ごしています。そこではテクノロジーは使わない自然の時間を楽しむ生活を送っていますよ。
さいごにひとこと
子どもの頃の多くの経験が今の私を作っています。中でも両親から受けた愛情は、私を形作る財産です。
会社を経営するにあたり、父に小さな頃からずっと言われてきた「人の役に立つ人になりなさい。」という言葉が、会社経営において「これは誰の役に立つ仕事なのか」と考える礎になっています。
これからも、役に立つべき対象をきちんと見極めた事業を展開し、社会の役に立つ仕事をしていきたいです。
ピーカブー代表 小村佳子氏 プロフィール
1986年生まれ、兵庫県芦屋市出身。広島市中区在住。
アパレル販売員として勤務したのち、株式会社リクルートライフスタイルに入社。Hotpepperの美容ページの提案・企画営業に携わり、入社1年目にして営業成績1位の他、各種受賞歴は30回超。結婚出産を機に株式会社CREATIVELABへ入社し、子育て女性のキャリア支援を目的にpeekaboo事業をスタート。その後、2017年1月5日にCREATIVELABより分社化し、株式会社peekabooの代表取締役に就任。peekaboo 袋町保育園とpeekabooせせらぎ保育園、peekaboo幼稚舎の運営も行う。
5歳・3歳・1歳の3児の母。